3月25日(月)
朝、サンフランシスコに到着。地獄の深夜バスに惨敗で疲労困憊の我々は「特別料金で日本人は特別サービス」 という触れ込みのホテルに泊まることにした。
着いてみると、なるほど管理人も感じがよく、朝食もサービスしてくれた。
なかなかいいところに来たと思い部屋に入ると、至る所ガタガタで冷たい隙間風が入り込む。
この送風サービスは少しよけいだった。サンフランシスコの朝晩は意外に冷えるのだ。
この日は三人バラバラで自由行動をすることにした。
ぼくは市の中心のシビック・センター、ユニオン・スクエア周辺をぶらぶらしてまわった。
軽く買い物などをしたくらいにして、特に何もしなかったが、重たい荷物を置いて好きなように歩き回れたのでずいぶん気分がよかった。久々に生きた心地がしたような気がした。
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ケーブルカーは発着点で、このようにターンテーブルの上で乗組員が押して方向転換をする。この作業は特別なトレーニングを受けた者のうち1/3しか合格しないらしいが、ケツでやってる人もおり、誰でもできそうだった。
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サンフランシスコは昔からホームドラマなどの舞台としてよく目にした街だったが、まさにそのままの活気に溢れた暖かい街だった。もしアメリカにすむことがあったらぜひここにしたい、そう思えるほど今回行った中で一番よいところであった。
3月26日(火)
この日は再び三人で行動。サンフランシスコ名物、ケーブルカーに乗りこの日の宿を探す。
途中、日本人と台湾人の留学生二人組の女の子に話しかけられ、道を教えてもらった。
台湾人ということを聞いて、学校の教養科目で中国語をとっていたというJが調子こいて中国語で話してみようと試みた。
「ウ、ウー ジャン・・・」
「・・・?」
ものすごい按配で眉間にしわを寄せる彼女。案の定、まったく通じなかったようだ。
彼は「my name is・・・」を中国語で言ったつもりだったが、それすら通じない。(中国語は発音が難しい。)
所詮お前はその程度だ。あきらめな。
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フィッシャーマンズ・ワーフのシンボル
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宿を決めた我々はサンフランシスコ有数の観光スポット、フィッシャーマンズワーフへむかった。目的は、映画の舞台にもなった、極悪犯罪人専用の刑務所があったアルカトラズ島。フェリーで10分くらいでいける人気スポットだ。
さっそくチケット売り場に並ぶ。さすがにすごい人気である。しばらく並んでいると、ナレーションが聞こえてきた。
「アルカトラズ島へのフェリー、次の出発は水曜日です。」
「・・・・・」
もはや言葉もない。いいかげん、読者もこんなオチにも飽きてきただろうが、心底うんざりしていたのは我々のほうである。
やることがなくなった我々は、とりあえずアンダー・ウォーター・ワールドという水族館に行った。
次に、潜水艦USSパンパニート号を見学。これは第二次世界大戦で活躍した偵察艇である。
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USSパンパニート内部
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最後に行ったのは「ビリーブ イット オア ノット」という、世界中の信じられないものを集めたアミューズメント。そして消化不良のまま帰ってきた。
この日でサンフランシスコは最後なのでこのまま寝るのはもったいないということで、近くのバーに飲みに行くことになった。
入ったのは若者が来るような感じの店ではなく、年配の人の溜まり場といった感じ。なんか違うなあと思っていると、となりにいたおじいさんが話しかけてきた。
「日本から来たのかい?」
彼は話し好きという感じではなく、何か話さなきゃ、って感じで少し気まずそうにしていた。
「第二次世界大戦では私のおじが・・・・」
「日本の総理大臣は・・・・」
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友人が一人海に帰りました(合掌)
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しかし、彼は酒が進むうちにだんだん気分をよくしていき、饒舌になっていった。老人の昔話は長い。ぼくはだんだんやめてほしくなってきた。
「第二次世界大戦では私のおじが・・・」
おじいさんは何回も同じことを話し続ける。ぼくは彼には悪いが、もう完全にうんざりしていた。隣を見ると、友人の一人はもう完全におねむである。
「オーウ、イエァー」
さらにその隣を見ると、もう一人はおじいさんが同じことを繰り返ししゃべってることに気付いていなく、目を輝かせて彼の話を聞いている。内容はなんにもわかってないくせに、だ。
その顔を見て、おじいさんはさらに気分をよくしてしゃべり続ける。
その日は長い夜になった・・・
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