5月2日 9:30
原付のオイルを満タンにし、荷物を詰め込み、いよいよ京都に向け出発。
天気予報では雨になっていたが、奇跡的に好天に恵まれる。うららかな春の日差しと爽やかな五月の風が心地よい。そんな中を僕を乗せたバイクはぐんぐん進んでいく。
早くも気分は最高だった。「気持ちいい、チョー気持ちいい」 そんな旬を過ぎた言葉が口をついて出てきてしまうほどに。
気持ちは盛り上がっていく一方だ。今からこんなに楽しくて、これからどんだけ素晴らしい体験が待っているのだろう。僕はもう完全に浮かれていた。だがしかし、そんなときに事件は起こった。
ドカーン
なんと、僕のすぐ前を走っていた原付スクーターが、信号待ちで停車していた軽ワゴンに追突してしまったのだ。よそ見をしていたそのライダーは何のためらいもなく力いっぱいバックから突っ込んでしまった。
見事なまでの原付による「突き」である。
僕はその横をすり抜けていったのだが、ミラーを見ると、降りてきた軽ワゴンの運転手に原付のライダーがしきりに頭を下げている光景が見えた。あ〜あ、めっちゃ怒られてるよ・・・
そんな画を見せられて一気にブルーになる僕の心。
なんだろうこの初っ端から出鼻をくじかれた感。痛々しさと切なさと心苦しさが僕を襲う。というかさっきのライダーはホントに鼻をくじいた恐れがあるな。大丈夫か。
見ず知らずの他人の心配から始まった今回の旅。

5月2日 11:00
茅ヶ崎市に入ってきた。
思わぬ事故を目の当たりにし、すっかり意気消沈してしまった僕だったが、浮かれすぎていた部分もあったので良い戒めだったかもしれない。
そう、(無駄に)過酷な旅は始まったばかり。
ちょっとした気の緩みが悲劇を招くかもしれない。無事に終えるからこそ楽しい思い出として残るわけだ。これからはもうちょっと気を引き締めていこう。そうして最低限の緊張感さえ持っていればトラブルは避けられるはずだ。
そう思った次の瞬間だった。
突然、道端から黒い服を着た男達が5人、いきなり飛び出してきて行く手をさえぎり、バイクを止めさせて僕を取り囲んできた。何だ、過激派か?テロか?
と思ったらそいつらは警官だった。気付かぬうちに禁止エリアで車線変更をしてしまっていたらしい。そこは同様の違反が多発してるポイントらしく、ネズミ捕りに引っかかってしまったのだ。ついてね〜。
路肩に連れて行かれ、説教を食らったあと警官に免許を見せる。その警官は免許証と僕のスクーターをまじまじと見比べていた。
「これで東京からきたのか」
「はあ」
「今日はどこまで行くんだ?」
「箱根ですけど」
「箱根?!これでか?」
「はあ。最終的には京都まで行きます」
「・・・・・。」
その会話の後、心なしか警官の態度が急に優しくなった。結局切符は切られず、「ま、まあ気をつけていきなさい」 と最後にはエールとともに送り出される格好になった。僕の無謀さは警官の心も掴んでしまったようだ。
原付に搭乗していたおかげで同情を勝ち取ったのだ。

5月2日 12:00
大磯に入ったところで腹が減ったので昼飯に。
「醤油とんこつ」と書かれたラーメン屋の幟につい惹かれてその店に入る。ドライブイン的な佇まいなのであまり期待してはいなかったのだが、案の定あまり美味しくない。しかしそのくせにやたら量が多い。
こういうのをありがた迷惑って言うんだろうな。
「また来て下さいね」というおかみさんの笑顔に心が痛みながらその店を出る。再び原付を走らせ国道一号線を西へ西へ。左手を見ると砂浜が広がっていた。あ、これが大磯ロングビーチってやつですね。
ここまで予定よりもずいぶん早く進んでしまったので、ちょっと寄り道して海に寄って行く事にした。走りながら海岸の方へ続く道を探す。
しかしそれがなかなか見つからない。
おいおいどうやったら海にいけるんだよ、とやきもきしているとようやく「←大磯ロングビーチ」と書いてある看板を見つけ、そこで左折。東京に越して来てから海に行ってない僕はちょっとわくわくしていた。
だが、様子がおかしい。道はどんどん細くなっていき、気がつくと僕はなぜかゴルフ練習場の駐車場に迷い込んでいた。しかもその日は休みだったようで、そこにいたガードマンに
「勝手に私有地に入ってこないで」 と怒られる始末。
なぜ?看板の通りに来たのに。ずっと一本道だったのに。なぜ?WHY?
その後も散々右往左往したが、結局海へ行く道はどこにもなく、断念してもとの国道に戻ってきた。ロングビーチとはビーチにたどり着くまでがロングということなのか。
やっぱり今回も初日から一人相撲をとりまくっている。
(後から知ったが、大磯ロングビーチってのはプール施設のことらしいですね)

5月2日 1:30
初日の主な目的地、小田原城に到着。
戦国時代、北条氏が五代にわたって居城としていたこの城は、武田信玄、上杉謙信といった戦国最強の軍勢に襲撃されるも二度とも退け、天下統一を目前にした豊臣秀吉の軍20万に最後まで抗った、日本で最も守りの堅かった城である。
最大時は外周9キロにも及んだ城壁で城下町ごとすっぽり囲んでいたため、長期の篭城にも耐えることができた。そんな戦国時代最強の城に今僕はいる。歴史好きの僕にとっては感激である。
だが感激しすぎたのか何なのか急激にお腹が痛くなってきた。
急いでトイレに駆け込んだ僕。しかしなかなかすっきりと決着がつかず、ずいぶん長い間トイレに居座る羽目になった。
「コンコン…」 誰かが来た。「はいってま〜す」。悪いがまだ出られそうにない。他のトイレに行ってくれ。しかしその後10分ぐらい立ってもまだ決着はつかず、僕はトイレにこもり続ける。
「コンコン…」 また人が来た。「はいってま〜す」。悪いがまだ出られそうにない。その後もトイレに居座り続けた僕。
かつて幾多の軍勢を退けたこの城で、今また僕も篭城し、二度の襲撃を退けたのである。もしかしたら北条の魂が僕に乗り移ったのかもしれない。歴史の重みを感じずに入られない瞬間。
歴史とか言っているが結局うんこの話だ。

5月2日 14:25
引き続き小田原城
思わぬところでトイレにこもり、こんもりと大便を残してしまった僕だが、気を取り直して城内を見て回る。
現在の小田原城は昭和35年に建て直されたものである。もともとの建物は明治三年に廃城となった際に取り壊され、残った石垣も関東大震災でほとんど崩れてしまったという。
なので、あまりにも建物がきれいすぎるのだ。
正直これにはすごくがっかりした。石垣も途中からきれいな新しい石が積まれているのがくっきりとわかるし、鉄筋コンクリートで建てられた天守閣に至っては内部の床がピータイル張りである。学校の校舎か。
城の中は今は資料館になっていて、エレベーターも通っている。これは他の城も同じだろうが、それにしてもここの有様にはもうちょっと配慮がほしいと思った。せっかく遺跡自体が語る歴史と文化を感じに行ったのにこれじゃあんまりだ。
最上階から望む景色もどことなく曇って見えた。
売店のおばちゃんを見て、今のこの城よりもこの人の方が歴史が長いんだと思ったらため息が出た。震災も来ていないのに顔の組織がほとんど崩れてしまっている。
そんな僕の思いも知らず、おばちゃんは客前なのに豪快に鼻くそをほじってる。

5月2日 16:00
小田原城を出発。
思っていたよりもだいぶ早くここまで来ていたので、ゆっくり見て周ることができた。小田原から今日の宿泊予定地、箱根までは数キロ、目と鼻の先である。これでもまだ早く着きすぎるくらいだ。ただ、この時点で僕には重大な懸念材料があった。
「泊まる場所がない」 である。
事前にネットで探した安宿を予約しようとしたのだが、どこも一杯だったのだ。ゴールデンウィーク、日本有数の観光地とくれば極めて当たり前ではあるのだが。で、けっきょく打開策を見出せぬまま今日という日を迎えていたのである。
「ま、行けば何とかなるべえ」
そんな結論に達した僕だったが、もちろんそこには何の根拠もなかった。こういうのを世間では現実逃避という。その不安が今になってムクムクと頭をもたげてきていた。
16:14。そうこうしているうちに箱根に到着。
とりあえず一通り周って空いてる安そうな宿を探してみる。しかしどこも高そうなホテルばかりで僕が思い描くような所は全然ない。民宿みたいな所でもけっこういい値段するんです。ちょっと安そうな所はやっぱり全部埋まっている。
このころから僕の頭に「野宿」の二文字がちらついていた。
17:15。汗もかいていたのでとりあえず温泉に入ることに。日帰り温泉、「天水弘法の湯」 にいく。
事前の調べでの高評価どおり、洗い場、室内の浴場もきれいで広く、露天風呂も景色が見えない以外はかなり良いものだった。不安を忘れ、ホッとひと時の安らぎ。
だが、僕の目の前にある岩の上で、下半身もあらわに横になって寝てるおっさんがいる。
ちょうどこんな感じだ。
ブッダは菩提樹の下で悟りを開いたが、このおっさんのブツダはあまりにも開かれていたのである。本人はそれこそ仏のように幸せそうな顔をして寝てるが、見せられるこっちとしては遺憾の念がこみ上げて来ずにはいられない。
「大仏」 というには程遠いそのブツダに哀悼の念もこみ上げて来ずにはいられない。

5月2日 18:30
風呂から上がり、ご主人に今から入れる安宿がないか聞いてみた。
「んなのあるわけないだろ」
温泉の主人のくせに水風呂のごとく冷たい対応である。
「小田原まで戻ればビジネスホテルとかあるけど。3000円くらいで泊まれるんじゃない?でもこの辺じゃあ無理だね」
なるほど。小田原であればこっからすぐだし、3000円なら、ちょっと高めだが予算オーバーって程でもない。もうまともなとこで寝るにはこれしか手はないだろう。決断のときがやって来た。どうする?しかし・・・。
「戻る」ということは旅をする武士(もののふ)にとって敗北を意味する。三歩進んで二歩下がるなどと陽気に歌ってられるのはチーターぐらいだ。どうでもいいが水前寺清子は何でチーターなんだ。さらにどうでもいいが彼女と僕は誕生日が一緒だ。
話がそれたが、わずかな距離にしろ 「引き返す」 という行為が、しかも「ビジネスホテル」というのが、今回の旅の一番大事なものを奪ってしまうような気がした。それが何なのかはわからないが。
とにかく無茶をして突き進む。これを曲げてしまったらなんかダメなような気がしたのだ。例えそちらの方が快適であったとしても。「カイテキは敵だーッ!」
意味不明な決意を心に刻んだ。
この瞬間、今夜の野宿が決定したのだった。

5月2日 19:35
温泉の休憩所のコンセントで携帯、デジカメの充電を満タンにして出発。
とりあえず宿のことは忘れて食事である。今回の旅では宿代と交通費をケチった分、飯はそこそこいいモノを食べるつもりでいた。駅前の通りにあった「花さがみ」という料亭のような所に行ってみる。
豚の角煮丼(¥1600)。
さすがに普段僕が口にしているものとは彩りからして違う。味ももちろん素晴らしい。束の間の贅沢気分を味わう。
だが、上品な感じの店内で、迷彩のジャケットにキャップ、大小二つのリュックを抱えたサバイバルルックの僕はあまりにも浮いていた。完全なる逆カモフラージュである。
他の客達はだいたいホテルの浴衣を着ていた。温泉も入ってうまいもん食って、後は宿に帰ってゆっくり寝るだけ。そんな空気が漂っている。心の底からくつろいでる感じだ。
一方の僕は、うまいもん食って、までは一緒だが帰る宿がない。心の底からうつろな感じだ。あるいはこれが最後の晩餐か?そんなことを考えたりしている。
店を出る僕の足取りは重かった。

5月2日 20:45
とりあえず寝床を探さにゃならん。
店を出ると、酔っ払った二十歳くらいの少年達が浴衣を脱ぎ捨てフルチンになり、逆立ちしたり道路に飛び出して道行く車を停めたりしていた。そのみっともない姿は猿そのものだった。
でもこんな奴等ですらちゃんと泊まるホテルがあるんだと思ったら泣けてきた。
野宿に備えてコンビニに虫除けスプレーを買いに行く。このころから僕の野宿の報を聞きつけた友人達から心配(探り)の連絡が入り始めた。
「こんな日には野宿も良いじゃないですか」
・・・じゃあ君もやってみろ。
「そんなことしなくてもファミレスとかで夜を明かせばいいんじゃ?」
・・・箱根にそんなモンあるわけないだろ。
「狐に食べられるよ。気をつけて」
・・・・・・意味がわからない。
とにかく準備は整ったので、あとは場所探しである。適当な場所を求めてすっかり人気もなくなり商店街から明かりもなくなった夜の箱根を一人探し回る。あたりはホントに静かで、なんだか観光地にいるのに遭難したような気分だった。

「ようこそ箱根に」という言葉もぼくには向けられてないような気がした。

5月2日 21:55
そして宿泊地決定。
早雲寺というところの向かいに公園のようなところがあり、そこのベンチの上で寝ることにした。近くにトイレもあるし、ここがベストだろう。
ただ、ここは野良猫たちのテリトリーのようで、4〜5匹の猫がたまっていた。僕が近づくと一目散に散っていき、ちょっと距離をおいてこっちを覗き込んでいる。
きっと「こいつは何なんだろう」とでも思ってたんだろう。
とりあえず寝床も決まったのでトイレの様子を見に行ってみる。わりと新しめできれいな感じのトイレだった。ここで顔を洗ったり歯を磨いたりするのでこれは嬉しい。そう、みんながきれいに使えば公衆トイレだって汚くなるはずがないのだ。
そうそう、その通り。
だが、そんな願いもむなしく個室の便器には見たこともないほど巨大な一本グソが。
「うをっ」 その堂々たる有様に思わず声をあげてしまった。明らかに便所の水量では流れるはずがないほどのダイナマイツなモノだ。コレを産み出すには相当の括約筋力が必要とされたはずである。タダ者ではないな。
などと感心している場合ではない。とりあえずその個室には近づかないことにする。

5月2日 22:35
猫達の視線を感じながら寝袋にイン。
最悪、野宿もありえると踏んでいたので寝袋は忘れずにちゃんと原付に詰め込んでいた。できれば避けたかったが、この程度はまだまだ想定の範囲内である。
寝袋、そして自分の体にたっぷり虫除けスプレーをかけまくった。この時点で温泉に行った意味が半分くらいなくなっているが気にしない。
しかしなんだかんだ言っても野宿なんて初めての体験である。この状況を楽しんでニヤニヤしている自分がいつつ、この年でこんなことしてるのはどうなんだという思いも交錯し、いろんなことが頭を駆け巡る。
そんなことを考えているうえに、実際にあたりを駆け巡る猫達がたてる物音で目を覚まされたりするのでなかなか寝付けない。そう、やつらは夜行性。今、最も活発に活動する時間帯なのである。ああ・・・。
さらには雨まで降り出してきた。ジーザス、これはさすがにやばいぜ。
だけど、ベンチがちょうど木の下にあったため全く濡れることはなかった。へえ、なんか木って意外とすごいんだなあ。なんだかすごく守られているような感じがした。ふと目を開けてみる。
暗闇の中、雨の音、僕の体を撫でながら走っていく風、その音、風に揺れながら僕を雨から防いでいる木、すべてが一体となって自分が包まれているような感じがした。地球に抱かれているような感覚。
それはすごく新鮮なものだった。日常生活では絶対に感じることのできない。自然との一体感とでも言うべきだろうか。
気分はCWニコルである。WCの近くで寝ながら。
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