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TRAVEL NOTES (KYOTO)
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 京都往復原付1400キロの旅・二日目

 

5月3日 7:00

起床。足元の「ぬくもり」で目が覚める。

見ると猫が一匹、僕の足に寄りかかって眠っている。きっと暖かい上にやわらかくて気持ちよかったのだろう。いつのまにか猫とベンチという名のベッドをともにしていたのである。ここしばらく添い寝なんてしていなかったが思わぬところで実現。

その猫を持ち上げてメスであることを確認した僕は何か間違っているだろうか。

かわいいんだけどさ しかし一匹懐にもぐりこんで安全であるとわかった途端、他の猫達もわらわらと寄ってきておいたをし始めた。構っているとキリがないので、放っておいて顔を洗いにトイレへ。

しかしそこは僕の気付かないうちにミステリーの舞台と化していた。

現場に残された遺留品 そこには昨夜には間違いなくなかった謎のパンツが。

いったいどういうことなのか。突然何の"前ぶれ"もなく現れたパンツ。この持ち主はきっと今ごろ"前ブラ"なはずである。息子が自由を求めて旅立ったのか。

しかもそこにはベッタリと血痕ならぬ「便痕」が。出ケツ多量じゃないか。

現場検証の結果、おそらく僕の寝ている間に誰かが「間に合わなかった」、あるいは「踏みとどまれなかった」のだろうという結論に達した。バッドエンドを迎えた犯人はここに死体遺棄ならぬ下着遺棄をして証拠隠滅せざるを得なかったのだろう。

事件の裏側にある真実とは、いつも悲しいものである。

 

5月3日 8:15

コンビニで朝食を済ませ、箱根を出発。

まず一つ目の峠越えだ。親戚のおばさんからもらった、前にカゴの着いたスクーターで山道をぐんぐん登っていくその姿は道行くドライバーの視線を釘付けにしてやまない。

霧がかかり、まだ日差しも弱い朝の山道はかなり冷えた。本当はここで峠を越える必要はなかったのだが、富士山を見たいがため、わざわざその裾野を通る道へと続くこの山越えルートを選んだのである。

しかし天気が悪く富士山の「ふ」ぐらいしか見えない。

いろんな意味ですごく寒かった。本来であればこの道は絶好の「マウントポジション」であるはずなのに。今回の旅で一つやり残したことができてしまった。

茶! 仕方なく黙々走り続けて静岡県に突入。

周りは絵に描いた様な茶畑ばかりだ。どこまでも延々と続く茶畑。その景色は見事なものであった。美しき日本のいとおかしき情景。

しかしいつのまにか予定のルートを外れてしまい自分の位置が全くわからない。

しかも細い道に迷い込んでしまい方向もよくわからない。しかたなく、ようやく顔を出してきた太陽の位置を頼りに進む。しばらくしてようやくもとの国道に戻ることができたが、地図を見るとかなりの遠回りをしてしまっていたようだ。

苦い経験、茶畑に囲まれて。心の湯飲みに辛酸を注がれた辰の刻。

 

5月3日 10:25

再び1号線を西へ。

今日の宿泊予定地は名古屋。夕方までに着いて、その足で愛知万博を観に行く予定である。移動距離も最も長く、最も過酷な一日となるであろう。

そう覚悟してはいたものの、パソコンでプリントアウトした地図しか持っていなかったため正確な距離などはわかってなかった。

そして、この時点で青カンの「名古屋 200km」の表記を見て愕然。

今日ここまですでに100km以上走っている。まさかのオーバー300。予想してた距離の二倍である。本当に一日で着くのだろうかという不安が脳裏を掠める。

その不安をかき消すようにひたすら走る。静岡はバイパスが通っているのでほとんど信号に捕まらずに走ることができた。以前の有料道路だったところだが、事実上の高速道路である。そんなところを疾走する我らがディオ、50cc、93年式。

バイパスは所によっては路肩が狭く、追い抜いていく車がすれすれだったりする。一歩間違えばホントに命を落としかねない予断の許されない展開が続く。さらにそんなときに後ろから大型トレーラーが迫ってくるときの恐怖。

次々と襲い来る細道、路肩の突起障害、大型トラック。ツーリングというにはあまりにもスリリングな展開。超怖え〜。「ブウォォォーン!」 轟音と突風を立てながら次々と横を大型トラックが突き抜けていく。「うを〜っ!」そのたびに思わず叫んでた。

完全にTVゲームの世界だ。ここまでひどい目にあうと逆に笑えてくるから不思議である。コレがナチュラルハイってやつなのか。

ゲームとの違いはリセットが効かない事と僕に残機がないこと。そしてクリアしても何ももらえない。

ミスをすれば即スカイハイだ。お逝きなさい。

 

5月3日 12:10

島田市まで来た所で昼食。

バイパスを降りた所にあった、「お刺身亭」 と書かれた店に入ってみた。中には客がいなく、おかみさんが一人で店をやっていた。

刺身定食を注文。これで1200円は安い。

「一人で店をやるのって大変じゃないですか?」 と尋ねると、おかみさん曰く、「前は若い板前さんに来てもらってたりしたんだけど、カッコばかりで腕の方がダメなのよ」 とのこと。

その話を聞きながら食べてる僕の刺身は切れずに繋がっていたが、彼女にそれを気付かれちゃいけない気がした。

旅先で見せた僕の精一杯の優しさ。

この店も、夜は居酒屋風になり、地元の若い人たちでにぎわうのだそうだ。見ると確かにカラオケなんかもある。「最近はあんまりよく聞くもんだから覚えちゃって、私も若い人の歌を歌うのよ」

「へぇ、どんなの歌うんですか?」

「名前は忘れちゃったけど、なんか果物みたいな・・・『花びらの〜♪』とかって歌」

「オレンジレンジ?」

「あ、そう、それ!」

「へぇ〜、若いっすねェ」

<花びらのように散り行く中で夢みたいに君に出会えた奇跡・・・>

「散り行く」 という歌詞を思い浮かべたときに思わずおかみさんの顔を見てしまい、慌てて目をそらす。

その後、今回の旅についての話をするとおかみさんは驚き、感心していた。「そういうことする人って、きっと意志が強いんだろうね。」

そんなこと考えてもみなかったが確かにそうだろう。こんなバカげた計画を実行し、最後までやりぬくのはまさしく意志の力。僕の信念は昔から有言実行。やるといったことは必ずやる。どんなにバカはやってても人一倍意志は強いのだ。

意志は強いが。

 

5月3日 14:45

昼食を済ませ、名古屋を目指してひたすら走る。

天気もすっかりよくなり、連休のど真ん中ということもあってバイパスは大渋滞だった。その横をすり抜け、とにかく距離があるので、見たいもの、気になるものがあってもわき目も振らず突き進む。

そうして走ること一時間、そろそろケツが痛み始めたのと、その美しさに惹かれて舞阪の海岸で一休み。

舞阪の砂浜 とにかく美しい海岸である。

遠くまで続く砂浜に整然と並んだヤシの木。海の水はともかくとして、こういった景色は北海道ではまず見られないから新鮮だ。なんだか異国のリゾート地に来た気分。ぼんやりと海を眺めていると時間がゆっくり流れていくようだ。

静岡県でリゾート気分を味わえる安上がりな体質。

舞阪を出てしばらく走り、無駄に広くて苦しめられた静岡をようやく抜け、愛知県に突入。ホントに静岡はどんなに走っても終わりが見えず、一度入ったら出られないんじゃないかなどと思った。

そうして夢中で走っているうちに、僕の体は様々な変調をきたし始めていた。

まず、尻が悲鳴をあげ始めた。ここまで半日、昨日の分も含めるとおよそ9時間にわたり、ほぼ一身で僕の体重を支え、衝撃を吸収してきた臀部が床ズレ状態を呈し始めた。クツズレならぬケツズレで5分に一回の尻ポジの移動を強いられる。

そして、この日最も僕の体を蝕んだのは日焼けだった。日に焼けると書いて日焼け。その字の通り僕の体は照りつける日光によって完全に焼け焦げていたのだ。知らぬ間に、だがしっかりと中まで火が通って気がつけば我が身はウェルダン。

気付いたときにはもう手遅れ。

 

5月3日 17:35

どうにか名古屋、2日目の宿に到着。

一向に縮まらない目的地への距離、だんだんと傾いてくる太陽、じんじんと疼いてくる尻、そんな数々のプレッシャーと戦い、何とか最も過酷な道程を走破することができた。さすがに相当疲れたが。何回も尻が取れるかと思った。

でも宿に着いたのも束の間、大荷物を部屋に置いたら万博を見に即出発。

宿から会場までは15分くらいだった。夕方五時からの半額チケットを狙っていったが、行ったらちょうど家族連れなんかは帰り始める時間で、入れ違いにゾロゾロ出てきてたので良いタイミングだった。(それでもかなり混んでたけど)

万博入口 その流れに逆流してゲートに向かう。

チケットを買って荷物チェック。そこで気付いたのだが、スタッフの殆どが外国人(恐らく中国人、韓国人など)だった。必ずしも日本語が達者ではなく、マニュアルもちゃんと浸透していないのか、かなり手間取って客の入りがスムーズに行ってなかった。

会場に入った頃にはとっぷりと日も暮れていた。

スタッフに外国人が多いのは、万国ということで世界の国々の強調とかそういう名目なのだろうが、実際は人件費削減目的だろう。おかげで全体的にスタッフの統制が取れてないし、みんな浮き足立ってる感じがした。

一番ひどいのは場内アナウンスだ。

いくらなんでもそれくらいは日本人にやらせりゃいいのに、外国人女性のたどたどしい日本語で、「コノ時間、ニ、西側ゲートノ階段ハ、タ、タイヘン混雑してオリマシュ。」などと言っている。噛み噛みな上に変なイントネーションで非常に聞き取りづらい。

こんなアナウンスに「足元にお気をつけクダシャイ」などと言われても、誰もが、お前が口元に気をつけろと思ったことだろう。そんな来場者の苛立ちをよそに、アナウンスはさらに続く。

「キ、北側ァノelevatorをゴ、ゴリョウクダサイ」。他がたどたどしいだけに「エレベーター」の発音の良さがやけに浮いてておかしかった。しかしその後に「ゴリョウクダサイ」だ。「五両ください」?物乞いか。そして彼女は最後にこう締めくくった。

「本日は、まことにありがとうゴザイヤシタ。」

 

5月3日 18:10

さてさて、さっそく万博を満喫しようか。

今回、僕が最も楽しみにしていたのは、このイベントの目玉の一つでもある、シベリアの永久凍土から発掘されたというマンモスである。

発見地の名前を取って「ユカギルマンモス」と名づけられたこのマンモスは、今から約1万8千年前のもので、2002年にシベリアの永久凍土の中からほぼ完全な状態で発見された。

死後すぐに氷付けになったために、腐食も進まず、骨格だけではなく、筋肉や皮膚、体毛まで残っているという。ここまで程度の良いものは他には例が無いらしい。それを日本で見ることができるなんて、こんな機会はめったにあるものじゃないだろう。

会場に入った僕は早速、マンモスが展示されている会場中心部の「グローバル・ハウス」へと向かった。

だが、そこで僕が目にしたのはシベリアよりも寒い事実だった。

グローバル・ハウス前の立て看板にこう書いてあった。「マンモスをご覧になるには整理券が必要です。本日の配布は終了しました。」

その瞬間、マンモスではなくて僕が凍りついた。

が〜ん。一番楽しみにしてたのに。めったにない機会だったのに。わざわざ東京からきたのに。ユカギルマンモスが僕を見カギル、万博の舞台でこんな無体な結末が待っていたなんて。

この一戦、早くも負け戦の様相を呈してまいりました。

 

5月3日 18:45

カラのカラダがとぼとぼとはしゃぐ街を歩く。

いきなりメインの目的を失い、気分は敗戦処理投手の僕だったが、仕方なく二番目に興味があったインドパビリオンへ。インドといえば僕が行ってみたい国ナンバー1なのだ。

一個あればわかるから インドパビリオン。

「インドインドインドインド・・・」と、全部の窓にムキになっていちいちインドと書かれてるのが暑苦しくてよい。

「出口」 そしてドア窓には「出口」と手書きの張り紙。この手作り感がなんだか学校祭みたいで微笑ましい。

中に入ると、ヒンズー教や仏教を中心に、インドの風俗、文化についての展示が。ひとつひとつ細かい説明があり、見る人のことを考えられた非常によくできたパビリオンだった。なかなか満足。

満足ついでにそろそろ腹も減ってきたのでここで晩飯を取ることにした。

各パビリオン内には、その国の料理が楽しめるレストランがついていた。インドといえばカレー。案の定かなり混んでいたが、2種類の味が楽しめるという、スペシャルセットなるものを注文して待っていた。

他の人のを見てると金属の食器に盛られて出てくるようだ。そしてみんな一列に並んで盛り付け係から直接料理を受け取る。なんか給食みたいだな。そうして並ぶこと15分、僕の番が回ってきた。

「弁当箱」というかホントの「箱」だ、これは。 しかし僕の分はなぜかこんな安易な紙の「箱」に入っている。

「??」 なんで?容器がなくなったのか?でも彼の手元を見る限り、別にそういうわけでもなさそうだが・・・。理由を聞こうにも盛り付け係のインド人は日本語がわからず、そもそも僕と目も合わせようとすらしない。インドでは客に対してこういう態度を取るのか。

盛られてる、というより放置されてる。飯が。 ご飯なんか箱の上に直接盛り付けられている。

インド人も、というかインド人にビックリだ。

 

5月3日 19:50

とりあえず食事は済んだので、他のところを見て周る。

夜の万博会場 ここに来て今更気付いたが、こういうところに一人で来るのってどうなんだろう。楽しそうに会場内を歩く家族連れやカップルを見てふと思った。おれって今寂しい人?!

一人なのよ分かるでしょ?僕のハーモニー誰のハートにも重ならない・・・

それはさておき、時間が許す限り各国のパビリオンを周ろうとする。が、いちおう22時までやっているはずなのに、実は営業時間はバラバラで、この頃になるとぼちぼち閉まる所が出てきだした。トヨタや日立なんかはとっくに締め切ってる。なんだよ。

パビリオンごとで人の入りも様々で、外まで行列を作っている所もあれば、閑古鳥が鳴いてる所もある。というか魅せ方にかなり差があって、客が楽しめるように工夫がなされている国もあれば、単に展示物を並べてるだけの投げやりな国もある。

ネパールなんかは全体が単なる土産物屋と化していた。万博にいるのに、蚤の市にきてしまったような気分。ひどいのになると、未だにオープンしてない国まであった。

これはお国柄といえるものなのだろうか。実際、アメリカなんかは会場内にセグウェイに乗ったコンパニオンを走り回らせ客寄せをするという、資本主義に物を言わせた姑息な手段に打って出ていた。

21:20、一通りぶらっと周って会場を後にする。

結局、主な目的も果たせず、時間的制約もあり、十分に楽しめたとはいえない感じになってしまった。「万博に行ってきた」 と言うのも憚られるほど土産話にも乏しい。これはもう一回ちゃんと時間を割いて行ってみる必要があるかもしれない。

な〜んか悔し〜いな〜。

 

5月3日 22:00

宿に帰ってきた。

起きてる時間の殆どを原付の上で過ごし、残りは殆ど歩き回っているという、前半で最もハードな一日の疲れを癒すため、風呂に浸かる。

今日一日で一気に焼けた肌は、この時点で真っ赤に爛れており、風呂の湯がかなりしみた。思わず「うっ」とか「くっ」とか声を上げる僕に対し、浴場にいた子供達の視線が冷たい。うるさい、お前らにこの辛さの何がわかる。

とりあえずすっきりして部屋に戻る。

今日の宿はユースホステルなので、4人の共同部屋だ。つまり部屋には見知らぬ人が3人いるわけだ。さっき来た時はまだ他の人は来てなかったので、この時点ではまだどんな人と一緒になるのか分かってなかった。しかしこの時間はもう部屋にいるはずだ。

部屋の扉をそっと少し開けて中の様子を窺ってみる。明かりは消えていて人の気配は無い。あれ、誰もいないのか。そう思って僕は扉を一気に開けた。その瞬間

「アウチ!」

ガツン、という手応えとともに中から外国人の悲鳴が聞こえた。見ると、大柄な白人の中年男性が入口からすぐの所に立っており、僕は彼に勢いよく扉をぶつけてしまったらしい。というか電気消して何やってたんだ、この人。

「ソ、ソいません」

思わず「ソーリー」と「すいません」が混ざって訳のわからない言葉を吐いてしまった。彼はいやな顔をしながら何も言わず、自分のベッドへ戻っていくとカーテンを閉めてしまった。

何もそんなに嫌そうにしなくても。


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