4月29日(土) 8:00
バイクに荷物を括り付け、いざ出発!
予定ではこの日、昼前に諏訪湖着、1時ごろに出発して名古屋到着が3時〜4時、そして琵琶湖には7時くらいまでには着いて、なんか美味いものでも食って、温泉につかって強行軍の疲れを癒そう、そういうつもりだった。
といっても、このスケジュールには何の根拠もなく、名古屋までの所要時間なんかは完全に勘であった。いやぁ、初日から無謀。
まあ、気合があれば何とかなるだろう。そこにあるのはそんな浜口イズムだけだった。
とにかく、車が混んでこないうちに、どれだけ東京圏から脱出できるか。東京の天気は午後から雨ということだったのもあり、スタートダッシュをかけるべく僕は先を急ぎ、甲州街道を八王子方面にひた走った。
だが、そんな僕をあざ笑うかのように、赤信号がことごとく僕の行く手を阻んできた。ちょっとおかしいんじゃないか、というぐらい信号ごとに毎回止められる。もうモテちゃってモテちゃってしょうがないわけ、赤信号に。
下位打線に捕まったような、予期していなかったところでのイライラ。
とにかく数が多い上に待ち時間が長い。結局、一時間経っても八王子にすら達せず、東京から出るのに二時間近くもかかってしまった。
「大変だなあ・・・」
思わず口をついて出てしまった。早い、早すぎるぞ。

4月29日(土) 11:25
山梨県に入り、峠道を走る。
東京から出れば信号も減るし、スムーズに進めるようになるだろう、そう思っていた。
だが、尾根に沿うようにグネグネ曲がった道は思いのほか細く、あまりスピードも出せない上、意外と車の量も多く、追い越しもできない。
ようやく軽快に飛ばせるようになったのは甲府に入ってから。この段階で既に昼。まずい、急がないと。
でもスピードを出せるようになったのはいいが、標高が高くなってきたこともあり、気温が下がってきた。おまけに風もめちゃくちゃ強い。最初は、ちょっと涼しいな、くらいに思っていたが、だんだんそんな呑気なものじゃ済まされなくなってきた。
寒い。
はっきりとそう感じる。僕は今、明らかに寒さに震えている。
おかしい、もう五月なのに。うららかな春の日差しを浴び、鮮やかに色付いた自然を五感で味わいながらドライブを楽しんでいるはずなのに。少なくとも去年はそうだった。
だが、太陽は未だ顔を出さず、山々を緑色に彩るはずの木々は幹と枝だけの寒々しい姿を晒し、今ごろ咲き始めの桜が申し訳なさそうに点在している。
そんな中で僕は今、明らかに寒さに震えている。
あまりの寒さに、しょっちゅうトイレ休憩を取る羽目になる。目的地にはなかなか近づかないのにオシッコはやたら近い。

4月29日(土) 12:55
ようやく諏訪湖に到着。
予定よりも二時間近く押してしまっている。やっと日差しが出てきたが、その白日の下に晒されたのは、初日からかなり残業する羽目になるだろうということであった。恐らく到着は夜になるだろう。
寒さで筋肉が硬直していたせいだろう、早くも首、腰、内転筋が相当キていた。僕は老人のように恐る恐る背中を伸ばし、崩れ落ちるように首をコキコキとやる。足は思うように動かず、久々にバイクから降りたら歩行が不自由になっていた。
そんな状態で大きな荷物を背負いノソノソ歩く僕はまるで、大きな袋一杯の空き缶を背負って徘徊するホームレスのようだった。ようやく落ち着いたと思ったら落ちぶれていた。
諏訪湖のほとりにあったモスバーガーのソファーに疲れ切った体をぐったりと沈めた。冷え切った体から溜息が漏れる。時間があったら間歇泉や高島城を見学したり、足湯に浸かろう、などと考えていたが到底無理だ。
辛い。
早くもそんな言葉が脳裏を掠める。大概の過酷を経験してきた僕だが、すでにこの時点で弱音を吐くほどにやられていた。
とりあえず昼食を取りながら地図を眺め、午後の道順を確認する。しかしここに着く途中で多少道を間違えたので、今いる場所の正確な位置がわからない。僕は近くを通った店員の女の子を呼んだ。
だが、彼女は僕を見てあからさまに表情がこわばり、恐る恐る受け答え、僕が地図を差し出して店のある場所を聞いても、「多分この辺だと思います・・・」 とやっつけに答え、そそくさと去っていってしまった。
僕はその対応に不快感を覚えたが、気にせず食事を取り終え、トイレに立った。そこで初めて自分の異様さに気がついたのである。
長時間の走行で、僕の顔は排気ガスの煤で真っ黒になっていた。表現としてではなく、本当に真っ黒になっていたのだ。いつの間にか顔までホームレスのようになっている。
さらに、頬はこけ、目は有り得ないくらい真っ赤に充血し、真っ黒になった顔の奥から戦慄の眼光を放っていた。このビジュアルは完全に危ない。通報されてもおかしくない。
ヤク中じゃないか。
自分の変わり果てたジャンキーフェイスに愕然とした僕だったが、あまりの酷さに自分で自分がおかしくなり、声を上げて笑った。そんな光景を、ちょうどその時トイレに入ってきた少年が目撃し、一目散に逃げ出した。僕はその後姿をなす術もなく見送った。
その子はさっきの店員と同じ表情をしていた。

4月29日(土) 13:45
重い体を引きずり、モスバーガーを後にする。
湖のほとりのグラウンドでは子供達がサッカーの試合をしていた。子供達の歓声、それを楽しそうに応援する家族達。なんてのどかな光景だろう。連休とは本来こういうものじゃないのか。
そんな迷いはコンクリートの塊に縛り付けて諏訪湖に沈め隠滅し、この日二つ目のチェックポイント、名古屋へ向け出発。
寒さに備え、ジャケットの下にフリースを着込んでバイクを発進させる。自らを奮い立たせ、何とか気力を保っている僕の顔からは笑顔は消え、その瞳からは光が失われかけていた。それでも前へ前へと僕を押すのは岩のごとく硬い意志。
ただそんな僕の様は、さながら猿岩石だった。
いや、これは初日がヤマ場なんだろう。確かに今は厳しいけど、これを切り抜ければ大丈夫。明日からは天気もよくなるというし、南を目指して進めば暖かくなってくるはずだ。体もバイクの長距離走行に慣れてくるだろう。
そんなふうに自分を鼓舞してロンドン、いや沖縄を目指して進むしかない。
それにしたって一向に名古屋までの距離が縮まらない。思いのほか車の流れがスムーズじゃないのもあるが、とにかく長野県がだだっ広い。去年の静岡に続き、今年は長野の長さにやられた。
ようやく愛知に入った頃には、景色は夕日に染まり、それを失った僕の瞳の代わりに街灯や車のライトに光が灯り始めていた。
食事のために国道一号沿いの「ザ・めしや」に転がり込んだのは午後6時過ぎ。すでにこの日の宿へのチェックイン予定時刻を回っていた。仕方なく到着が遅れる旨を電話で連絡する。
「すいません、到着が遅れます」
「わかりました。何時ごろになりそうですか?」
「そうですねえ、今名古屋なんで・・・10時回るかもしれません。大丈夫でしょうか?」
「う〜ん、そうですねえ・・・。寝ちゃってるかもしれません」
お願いだから起きててください。

4月29日(土) 19:05
さあ、ラストスパートだ。
ここまで来れば、今日の目的地までもう一息。去年も往復していて道もそこそこわかっている。だいたい三時間くらいで着くだろう。
ただ、最後の峠越えを前に日が暮れてしまったのは厳しい。少なからず焦りを感じていた僕は、ここで一つの決断をした。
名古屋から滋賀へ抜けるルートは三つ。峠は避けるがやや遠回りの国道1号、峠を抜け、比較的距離のロスが少ない477号、そして距離的には最も近道の421号。
ただ、421号に関しては、去年、名古屋から京都に向かう際に地元の人からこう言われていた。
「あの道は攻めるのには楽しいんだけど、多少険しいんだよなぁ」
その話を聞き、原付だったこともあり去年は477号を通って京都に行った。
しかし今は一刻も早く目的地にたどり着きたい。そう考えた僕は今回、その421号を強行突破し、一気に滋賀へと到達することに決めたのだった。
だが実際に足を踏み入れたそれは、「多少険しい」 なんて生易しいものではなかった。
道はどんどん細くなり、最終的には車一台通るのがやっとの、まともに舗装もされてないようなものになった。
激しくうねる急な坂道は一速まで落とさないと曲がれず、登れず、街灯など皆無で50メートル先も見えない。
道にはクレパスのような溝や落とし穴が配置され、ぐにゃぐにゃになったガードレールは錆びまくって10円玉みたいな色になっている。
マリオカートのコースでももう少し穏やかだろう。ここ本当に国道か?!
落石注意の標識があっても逃げる場所などなく、落石そのものすらそのまま放置されている。さしもの国土交通省もその存在を見限り管理を投げ出したか。
そして時折飛び出してくる鹿や狐。 死ぬかも、ではなく、何度も 「あ、死んだ」 と思った。
まるでジェットコースターとお化け屋敷を合わせて倍掛けしたような規格外のスリルに、僕の心臓はヘビメタのドラムばりのビートを刻み続け、全身からは良くない種類の汗が濁流のようにほとばしっていた。
まだ生きているかな? まだ、生きているかな? 何度も確認しながら、闇の奥へ奥へと僕は吸い込まれていく。ここで本当に何かあったらどうやって助けを求めればいいんだろう。あるいは何年後に発見されるんだろう。押し寄せるのは恐怖ばかりだ。
ふと上を見ると、ヘリがサーチライトを山肌に当てて上空を旋回していた。何かを捜索しているようだ。
てっきり僕を助けに来てくれたのかと思った。

4月29日(土) 22:25
なんとか断頭台への階段、421号を切り抜けたが、今度は雨に降られ、視界が悪いために道も間違え、やっとのことで、本当に命からがら宿に着いた。
ようやく怒涛の一日目、終了。
結局、すべてが予定より大幅に遅れ、一日中、距離にして570kmを10時間以上かけ、ただただ走り続ける、ということになった。
観光らしいことは何一つできなかったので、わざわざ諏訪湖経由のルートを採った意味はほとんどなくなっていた。むしろただ遠回りした上、高地のため寒さに凍えるという、余計な苦しみを生み出すだけといった結果となった。
早くも罰ゲームっぷりが炸裂している。
冷え切った体を温めるためにシャワーへ。しかし、いくら熱いお湯を浴びても芯まで冷えた体はなかなか温まらない。僕は激しく震えながらシャワーを浴び続けた。まるで強姦されたニューヨーク娘のように。
「あんな裏路地、通るんじゃなかった・・・」 僕にとってのそれが421号だった。
渋滞、強風、雨、道を間違える…、考える災難はだいたい起こった。いやぁ初日からこんなに盛りだくさんでいいのかな?最初からここまで出し尽くしてしまっては、明日以降もう何も出てこないんじゃないだろうか。
だが、そんな心配は杞憂であった。この先、僕を待つハプニングはこの程度で済まされるものでは全然なかったのである。
ご期待ください。
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